2012.05.21
彼は彼女に席を譲りましょうかというべきだったのか(4)
■彼は彼女に席を譲りましょうかというべきだったのか
午後6時、家に帰る途中僕はバス停前のコンビニに寄った。
そこには障害者がいた。
彼女の足は義足であって、その歩行はぎこちなく健常者の半分ほどに遅かった。
ぎりぎり歩けている、という印象をもった
でもそういう人は多くみたことがあるしそのことだけが僕の関心をひいたのではなかった
彼女が剣道着を来ていたことが僕には少し意外だったのだ
”障害があっても、剣道はできるのだな”
”もしかしたら、筋力維持のためにやっているのかな”
そう思った。
僕はちらっとだけそう思うと夜食用のカップ麺をかってバスに乗り込んだ
バスの後ろの方の座席に座り、買ったばかりの本を読んでいた。
バスが出発して10分ぐらいがたった
前の方の席の男性がいささか大きめの声で
「席をお譲りしましょうか」と言った
バスは信号待ちのためエンジンをとめており、その声はバス全体に響いた
相手はコンビニで見かけた彼女だった。
バスの混雑のなか、義足の彼女は立っているのがやっとであるようにみえた
ただ彼女は断った。
その後バスが終点に到着するまで
彼女はバスの揺れを手すりに全身でつかまりながら懸命に耐えた
彼は終始うつむいたままだった
乗客全員が彼女のことを障害者として認識した
このことは彼女を傷つけたのではないかと思った
果たして
彼は彼女に席を譲りましょうかというべきだったのか
結果として誰もハッピーにはならなかった
むしろ全員が不幸になったと思う
僕としては、席を譲るとき、相手に「席を譲りましょうか」と尋ねるべきではないと思うのだ
それはたしかに親切心の表明ではあるけれど、
同時に「あなたの見た目は席に座るべき見た目だ」というメッセージも暗に与えるだろう
もしかしたら
あと一駅だから頑張ろうとか、まだまだ自分は座る年齢なんかじゃないとか、健康のために立っておこうと当人は思っているかもしれない
だけどそういった気持ちは無視されて見た目が障害者だからとか老人だからとかいったことだけで席を譲りましょうかと言われる
しかもその声は周囲の知らない人にも届き、彼らもまた自分のことを「座るべき人」として認識するだろう
果たしてこれは親切だろうか
「席を譲りましょうか」というのは相手に選択権まで与える一見すばらしく親切な行為であるけれど
本当は座りたくない人にとって、この選択肢はどちらを選んでも最悪ではないか
自分の気持ちに反して座るか
相手の親切心を断って立ち続けるかのどちらかしか道はない
親切ってなんなんだろう
わかるまではとりあえず後ろの席の窓側に僕は座ることにする
