2009.11.03
バスケットボールとSEX(6)
■バスケットボールとSEX
中学生になったばかりの頃、ぼくらは小学校の頃に通っていたバスケットボールクラブに顔を出しに行った。すると小学6年生の一人が僕たちに、小学生チームと試合をしてくれ、と言ってきた。僕以外の二人は乗り気だったが、僕はそうでもなかった。というのも、ぼくときたら体育の成績が悪いほうで、マラソン大会なんか学年中・男女込みで下から2番だったくらいに体力がない。バスケットボールはそれなりに好きだったけれど、試合では特に活躍もできないし、自分が下手くそなことをよくわかっているから、点を取ろうという意欲もほとんどなかった。友達やイタリア人ハーフのコーチはそんなことは知らないよという感じで「バスケって本当に楽しいよな!」といつも僕のことを仲間はずれなどにせず誘ってくれていた。「だって俺たちは友だちだろう?」って感じだった。
それでも彼らの足を引っ張るのは嫌だったし、みっともないプレーをして下級生に恥を晒すのも嫌だった。でも僕が断ったら、中学生はたった二人になってしまって、試合ができない。僕は仕方なく、「やろうじゃないか」と言ってしまった。
それでどうなったと思う?圧勝したんだ。僕の仲間二人がいいプレーをしたのは勿論だけど、それだけじゃない。信じられないような話、僕のプレーが相当冴えたんだ。あまりに出来すぎていて、思わずこんなところに書き込んでしまうくらいだ。
試合が始まってすぐに、ぼくにはコートがそれまでとは違って見えた。相手が、見るからにガキンチョなんだ。確かに彼らは、基本的な運動能力は、あるいはぼくより上だったかもしれない。でも一方で、気の毒になるほど、モノが見えてなかった。そういうことが、手に取るようにわかったのだ。ぼくは一度だって小学生にボールを奪われることがなかった。仲間二人のポジション取りも冴えていたからだが、大抵のパスは通った。僕は3次元的に、あるいは4次元的にコートを見ることができた。天井からコート全体を見ることができたし、一秒後のコート状況をリアルタイムで読みながら(それはちょうどドッピオのスタンド・エピタフみたいに)動くこともできた。そして昔の僕や、目の前の一歳だけ年下の相手がそうではなく、せいぜい2次元的にしかモノが見えてないことを理解したんだ。
そして僕のどういう能力が本当に欠けていて、それが埋め合わせられればどれだけコートの中で自由にプレーできるのかも、そのときにわかった。スタミナそのものよりも、むしろボール慣れが圧倒的に足りないことが問題だった。キャッチングが特に酷い。今まではドリブルの練習も、かなり適当にやっていた。というより、練習のやり方を、練習とは何かを、何もわかってなかった。指定された数さえこなせばいいと思っていたんだ。それでは、半分以下くらいしか正解でない。本当は、もっともっとボールに慣れなければいけなかったのだ。その重さを肌で知らなければいけなかった。そしてそれを扱う姿を肌でイメージしなければいけなかった。そしてそれが分かってから、バスケットボールは俄然面白くなった。点を取ることがどれだけ気持ちいいことなのかが分かってからは、どうせ自分は弱いからとか言って尻込みしていた自分が情けなくなる。
この話はバスケットボールの初歩の初歩、基礎の基礎みたいなもので、このコートを4次元的に見る目がなければ、バスケットボールができるということにはならない。逆に言えばこの能力さえ身に付けば、あとは本人の練習の量と誠実さ次第だ。無論、一流プレーヤーになるには、4次元的な目の精度を高めるだけでは次元の足りないような世界把握システムを、モノにしなくちゃならないんだろうけどね。挫折するときは来るし、時にはある段階で諦めなければいけないときもくる。
そして、SEXだ。これも言ってしまえば、あのバスケットボールの試合と同じで、半ば強制的に3次元的な視点を開眼させられた経験だった。ポルノ画像と本物の女子の身体というのは、文字通り次元が違う。水泳と写生以上に違う。でもまあ、やってみればなんとかなるものだ。だがやらなければ、さっぱりわからないままだろう。童貞の(あるいは処女の)人には申し訳ないが、俄かのリア充くんが彼らを馬鹿にするのは、ある意味では仕方がない。4次元的な視点を「手に入れた」人にとって、2次元的な視点しか持ち得ない人は気の毒なくらいガキに見える。節度がある人なら口にはしないだろうが、そのように感じてしまうこと自体は事実だ。構造的に馬鹿にしてしまうことになってしまうんだ。
4次元的な視界を手に入れた人が、2次元的な視界に留まっている人との圧倒的な距離を一方では感じるが、その一方でほとんど距離がないということも理解する。開眼さえすれば、あっという間に視界は一まとめに手に入るからだ。だから、大したことないよ、大した違いなんかないよ、ということも本心から口に出来る。この不思議な距離感が、ちょっと人を小ばかにしたくなる気持ちを生んでいるわけでもあるのだけれど。
この4次元的な視界が通用するのはバスケットボールやSEXといった、運動を伴うものに限った話じゃない。受験や就職活動、おそらくビジネスにおいてさえ(ちなみに僕は高校1年生だ)、同じなんだろう。それはおよそ「目的」が存在する全ての領域において、基礎であり極意なんだ。
そして4次元的な視界でものを見ると、重ねて言うが2次元的な視界に留まる人が気の毒だ。手仕事で短絡的にしかものを捌けないからだ。システムを構築して負荷を減らすという発想がない。X軸とY軸からしかものを見ることができず、Z軸の存在だけでもきちんと使えば気楽にできることが、全くできない。4次元的な視界は、努力というよりも幸運によって身についたものだから、努力の差だとかなんだとか言うつもりはない。バスケットボールを僕より長くやっていてもとうとう開眼しなかったものだって少なくないし、せっかく開眼したのにも関わらずそれを他分野に応用できなかった者もかなり多いはずだ。馬鹿にはしない。ぼくも運がよかっただけだからだ。だが、事実として格差は開くだろう。2次元的な視界しか持たない人はやがては悪循環に飲まれるが、4次元的な視界を持つ人は好循環を失わないからだ。
この話は相対的なものだから、ぼくよりずっと上手くプレーする人から見れば、ぼくは何も見えちゃいないガキンチョってことになるだろう。でもこの経験には、いくばくかの真実が含まれていることは確かで、ぼくが望めばある程度までは、追いつくことだってできるはずだ。
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■http://anond.hatelabo.jp/20091103121741
いい文章。人生とは本当に運次第だ。
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■http://anond.hatelabo.jp/20091103121741
正しい。正しいんだけれども。
なんだか高校1年生でそういう意見を持ってしまうのはどうも哀しい気がして仕方がない。
なんというテレオロジー。
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■http://anond.hatelabo.jp/20091103125707
なんだか高校1年生でそういう意見を持ってしまうのはどうも哀しい気がして仕方がない。
言ってしまえば、人生に対する諦めに等しいもんな。
人生は終わっていないかもしれないけれど、青春は終わっている。高1にして。
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■http://anond.hatelabo.jp/20091103121741
うわー、よくわかる。
屁理屈捏ねて年長者の意見をバカにしてて、いざ自分がその立場に立ってみたらその意見がいかに本質をついていたかしみじみわかる。
あれって視点が狭すぎて、わかってなかったんだよね、今ならわかるという事が往々にしてある。
視界がいきなり広がる時期って、ある。それまでの努力が役に立つ事もあるし、無駄な努力をしてたこともわかることもある。
でも、そこで「ああ、わかった」って言ってからが、実は本番だったりもするし。「悟後の修行」ってこういうことなのかも。
人生って深いなあ。若い頃はそこがわからなかったんだよね、やっぱり。
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■http://anond.hatelabo.jp/20091103121741
真っ向から反論。
知人がこないだ上司になったわけだが、見事に自分の部下時代をわすれて、部下が動かない働かないと文句を言っていた。知人は元増田のいう「四次元的視点」を手に入れたかもしれないが、また別の方向からみることを忘れてしまったわけだ。
童貞、処女の人の感じることはわかるけれども小ばかにできる、というのも、昔の自分を綺麗さっぱり忘れて棚に上げているとしかいいようがない。ああこうすればいいのに、というのは、元増田がなんとなく小ばかにしている人たちからみれば「上司のうざい説教」「そうまでいうならお前がやってみろ」という、世間様の部下という人たちが一様に口にする言葉にすぎない。
元増田は上からの視点を手に入れたといってるが、単に下の視点を忘れてるだけである。
が、大丈夫だ。たいていの上司だって部下時代のことは綺麗さっぱり忘れてるし、それで世間は回っている。
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