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2009.11.18

職場の自称非モテがうざかった(3)

職場の自称非モテがうざかった

普段は本当に「諦めてます」「期待してません」みたいに振舞っている同僚A。

しかし、時折怨念じみたものを見せる。

完全にそういう類のことを諦めて飄々としてる先輩がいるだけに、尚更目立つ。

以前言ってみた。

「本当は、特にモテたくはないけど、いない事をからかわれるのが嫌なだけだろ?」

「レッテル貼りが我慢できないってのは、自分のプライドがそれで傷つく、気にしてるってことだろ」

と。

そしたらAは黙り込んだ。

昨日また鬱陶しいことを言い出した。

その時Aと話をしていた同僚Bは俺同様にウザいと思っていたようで、お前いい加減にしろよ、と楽しそうに自分の考えを語っていたAの顔を凍りつかせた後に吐き捨てた。

「お前、モテる努力をするのが、みっともない、格好悪いって思ってんの?」

「ひとそれぞれだけどさー」とAはお決まりの台詞で逃げようとするがBは追い討ち。

「結局お前って、モテたいけど努力はしたくない、でも誰か、ありのままの自分を好きになって! ってだけなんだよな。『主体性がなくて努力もせず、自分に甘い』誰がそんな人間に魅力感じるかよ」

それを聞いてAは激怒。

でもBは全く動じない。

「図星かよ。結局それを認めたくなくて自分や周囲の人間にポーズとってるだけじゃねーか」

「モテる努力ってのは、自分を相手にプレゼンする能力を身につけるってことなんだよ。表面上しか見ない女が多すぎるって、内面で見る気にさせてないのはお前自身だろ。人のせいにすんな」

「モテたいけど努力はしたくない、でもモテたい? いい年して馬鹿か?」

「そんなんだからモテねーんだよ。お前がモテてないのは『女に』じゃなくて『人に』だってことにいい加減気づけ」

「興味がない振りやらなんやら、結果が伴わなかった時の逃げ道ばっかし用意して、こういう話にいちいち反応して喚き散らして、笑って受け流すこともできてない時点で底が透けてる」

「逃げるなら全力で逃げてりゃいいものを、逃げてる自分の姿を見られるのが嫌だから人と並んだまま顔だけ背けてるだけ。側で腐ったプライド振り回して悪臭撒き散らすくらいなら立ち止まってろよ。俺らはその間に先に進むから」

全否定されて血管切れるんじゃないかってくらい首筋まで真っ赤でぶるぶる震えてるA。

震える声で反論。

「お前みたいにレッテルを貼る奴がいるから~(後半聞き取り不能)」

でもやっぱりBは容赦なし。

「そうやって自分に甘い台詞吐いて責任転嫁するばっかりで自分を省みることすらできないから根性腐るんだよ」

「大体、好印象にしろ悪印象にしろどっちもレッテルなんだよ。得たいレッテルを得るため、避けたいレッテルを避けるために努力することの何が悪いのか言ってみろよ」

「世の中のカップルや夫婦にお前の口からタレる糞を投げつけてみろよ」

Aはもう何も言えないみたいだった。

そのままAは逃げるように退社。

Bは吐き捨てるように一言。

「今の自分を認めたくないなら人じゃなくて今の自分を否定しろっての。変える努力もしない、できないやつが文句ばっかしウゼぇんだよ」

俺も似たようなことを前にAに言ったけど、容赦がなさ過ぎてちょっと乾いた笑いが出た。

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http://anond.hatelabo.jp/20091117165637

おい、コピペならちゃんと出典元を明かせ。マナーだぞマナー。

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http://anond.hatelabo.jp/20091117165637

俺はモテない。

それ自体はさして気にしていなかったが、ある日友人が俺のモテない要素をあげて笑った。些細な、簡単に変えられるようなことだった。だからこそ彼も軽い口調で言い笑ったんだろうし、もしかしたら遠まわしに、直すよう指摘してくれたのかもしれない。けれど俺のプライドは小さく傷ついた。それもまた些細なことだったが、そんなことを繰り返すうちに少しずつ自信がなくなっていった。いや、正確に言うなら、自負をそのままに自信のなさが膨らんでいった。モテを目的にした途端、人に指摘されて直すことに抵抗が生まれる。直したての何かは今の俺が注意を払って選択したもので、俺がそれをモテ要素だと思っていることが明らかになってしまうからだ。しかしそれは、人の目には馬鹿げたものであるかもしれない。非モテの痛々しい勘違いと映ったらと思うと怖かった。

同時に、変えればいい簡単なことだ、そう言って笑える人間がいることを意識した。軽い躊躇が枷になることを知らない彼らに、知らないまま軽々しく変われだなんて言われたくない。知り得ないのは仕方がないが、知らないくせに一体なんなのか。多数派はいつも傲慢だ。俺は自分の変えるべき点をいくつか知っているが、知っているからと言って何故実際に変えなければならないのか、何故モテを求めなければならないのか。異なる価値観を持つ人間に囲まれることも彼らは知らない。なら好きにしろよと言い捨てるが、その言葉さえ彼らの価値観の表れで、それは少数派にとって暴力的でさえある。彼らは多数派であるがゆえに自分の価値観に自信を持っているが、それが他人の価値観による他人の評価があってこそのものだと気づいていない。そうして少数派は自分の価値観をごまかすんだ。俺はモテたい。しかし変えない。いやモテなくていい。変ったっていい。なにが悪い?

俺は、そしてまた他人のレッテル貼りの対象になる。レッテルも理詰めの人間も嫌いだ。理屈は正しさの証明にも自己弁護にも役立つが、自分の間違いを知る役にはあまり立たない。多数派がそれを理屈と呼ぶから、俺はもう自分でもなにがなんだか分からないくらい価値観まぜこぜで、風潮に乗っかりつつも違和感を感じる。なにもかもそうだ。理屈の上で評価されなければならない。世の中にこの感覚を知る人間と知らない人間がいるなら俺は知る人間と付き合いたいし、知る人間は知らない人間と違う理屈で動くのだから、常に理に従わなければいけない理由はない。理屈に従うべき理由を理屈を用いずに言えないことが、理屈の限界だろ?

誰が悪いでもないし、俺は知らない側の人間が羨ましいが、彼らの価値観の中でレッテルを作り、俺に貼り付けるのは止めてほしい。俺に強いるな。

…というようなことを同僚Bは考えているかもしれないなぁと思いました。我ながらツッコミどころがたくさんあるけども(まず自分の妄想が!)、同僚Bを馬鹿にしているわけでも擁護しているわけでも決してないです。Aの気持ちもBの気持ちも増田の笑いが乾くのも分かる気がしました。

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http://anond.hatelabo.jp/20091117165637

そこまで言ってくれるBみたいな奴相手なら、俺だったら心置きなく刺してあげるけどなあ。

俺の人生をくれてやろうという感じで。

要するにリアリティ低すぎだよこの文章。


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