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2012.01.25

告白(2)

告白

いまを遡ること20年ほど前、私がおむつを履いていたくらい幼かったころの話、

我が家にはおじさんが居候していました。

おじさんと私との関係はまあいろいろあって、ここで説明するのは割愛しますが

とにかくおじさんは、とある事情から一時的にうちに身を寄せていた人で、我が家の誰とも血縁関係はなく、全くの他人でした。

私が長じてから親に聞いた話では、当時おじさんは居候の費用を払う余裕がなかったため

家事をしたり私の面倒をみたりすることでその対価としていたそうです。

当時我が家は父だけでなく母も外で働いていたので、保育園で補うことができない時間はおじさんが格好のベビーシッターだったのでしょう。

私にもおぼろげながらおじさんと一緒に幼児番組をみたり公園に連れていってもらったりした記憶があります。

しかし如何せん遠い昔の話なので、印象的な出来事以外のことはあまり覚えていません。

長じてからの私は、赤の他人のおじさんとの共同生活、というぼんやりとした記憶を、なんとなく面白く感じていました。

 

話はがらりと変わりますが、私は中学校に上がる前からパソコンを買い与えられ、ネットサーフィンのうまみにどっぷりハマりました。

その年齢の子供の興味のあることといったらもちろん性に関することです。私も多分に漏れずネットに性教育を施されたようなものです。

2chような、男性の(あるいは露悪的になりすぎているほどの)本音が聞ける場所にも頻繁に入り浸っていたので、

レイプやロリコンなどといった一般的にはよろしくない性的嗜好も、ある種の冗談として何の抵抗もなく受け流すことができます。

彼等は、YesロリコンNoタッチ(YesレイプNo実行という文句があるかどうか知りませんが)を尊守する愉快な紳士だということを、私は知っています。

 

数年前、「おむつかぶれ」で検索すると幼児の陰部の画像が大量にヒットするという事実がVIPかどこかで面白おかしく紹介されていて、

これはやばいだろwwアグネス来るぞwwと私も草を生やして喜んでみたのですが

その、おむつにかぶれた幼児たちの尻や、小さな小さな局部の写真を見ているうち、

なにか今まで忘れていたものがいっぺんに頭の中に思い出されるような、思い出してはいけないような、思い当たってはいけないような、そんな恐ろしい気持ちに襲われました。

そして、今まで忘れていたのが不思議なくらい鮮明な記憶が、

今まで海馬のどこに刻み込まれていたのか不思議なくらい膨大な量の記憶が、いっぺんに頭の中で再現されました。

 

私にも、おむつかぶれをするくらい幼い時代がありました。

父も母もいないとき、おむつを変えてくれるのはおじさんの役目でした。

おじさんはいつも、「カユイカユイになったら困るからね」と、私の陰部をおしりふきシートで拭いてくれました。

おじさんは指をつかって、私の陰部のすみずみまでシートをさすり込みながらマッサージしてくれました。

おじさんは「ここにアカが溜まると病気になるから」といって、ある決まった場所を特に念入りにさすりました。

それがどこなのかはよくわかりませんでしたが、おじさんの暖かくて太い指でそこをさすられると、

なんだか居心地が悪いような、でもなぜか落ち着くような、奇妙な感じがありました。

その感覚が不思議で、なんとなく面白かったので、私はおじさんの手がそのあたりにゆくと大人しくさすられるのを待つようになったようです。

「そんなに触られたいんか。ほんまはあかんねんけどな。ここはママやパパにはナイショのところやで。触り過ぎたら病気になるから、ママに言うたら怒られるからな」

そういってひとしきり秘密のマッサージを続け、最後はおじさんが「もうおしまい」と言って、おむつをペリペリと閉じて終わります。

あの感覚が終わってホッとするような、でも名残惜しいような、もやもやする感じが残ったことを覚えています。

一連の記憶を一気に思い出した私は、ドラマのようにすぐさま洗面所に駆け込んで吐くというようなことはしませんでした。

ただうっすらと体温が下がったような、背中に寒気が這い上がってくるような、不快な感じがしただけでした。

 

おじさんのしたことは何だったのか。

私はそれまで、フィクション上のレイプやロリコンといった嗜好は、「実際の被害者がいないから、悲しむ人が居ないから」よしと考えていました。

おじさんのしたことは、客観的に見ればペドフィリアに類されるような、幼児に対する性的いたずらでしたが、

実際の被害者であった当時の私は全く悲しんではいませんでしたし、拒否もしていませんでした。

おじさんの指の動きがなにを意図しているのか知る由もなかったからです。

即時的には悲しむ被害者がいない性的虐待というのもあるのですね。

不発弾のような性的虐待、あるいは地雷のような性的虐待というものがありうるなら、おじさんの所業はまさにそれだったと思います。

おむつかぶれの一件が刺激となって、それまで眠っていた爆弾が起爆し、おじさんとのナイショの記憶の破片が私の脳内に突き刺さりました。

やりどころのない、そして消えることのない、熾火のような静かな怒りと悲しみが、あの時以来私に刻み込まれているようです。

もし私が一生あの記憶を甦らせることがなければ、私は傷つかずに済み、おじさんのしたことも永遠にナイショのままだったのに。

 

おじさんがいまどこで何をしているのか私は知りません。

両親に聞けばわかるかもしれませんが、聞きたくありません。

いくら居候で家族同然とはいえ、父親でない男性に愛娘のおむつを変えさせて何の警戒もしていなかった両親に恨みも覚えています。

 

とりとめもないですが、以上吐き出しでした

1

http://anond.hatelabo.jp/20120125044542

たかが1歳2歳の記憶がそんなにはっきり残るわけねー。

保育園行ってたらおむつ外すのも早いし(保育士が外すよう訓練する。大勢の子供のおむつをいつまでもいちいち変えてられないからね)

20年前なんて今みたいに大きい子用の紙おむつなど無かっただろうから、3歳以降だとは考えにくいし。

1

細胞の記憶

http://anond.hatelabo.jp/20120125044542

人は生まれてすぐは興奮という感覚のみがあり、乳児期に快と不快に分化します。

2歳ぐらいの乳児期には快から愛情と喜び、不快からは怒りと恐れに分化し、さらに5歳頃の幼児期に怒りから羨望・嫉妬・失望が、恐れから心配と羞恥に分化すると言われています。

主さんが何歳頃にその体験をしたかによって、細胞の記憶としてその体験による体の生理的な反応に付随する感情が希薄なものでも不思議だとは思いません。

体験した記憶をその時に対処できない場合、人は体験ごとその記憶を細胞や筋肉に閉じ込めてしまいます。

快・不快という強烈な感覚が伴っていれば尚更だと思います。

人が対処できる時期になると、その記憶がタイムカプセルのように開かれていきます。

今現在、思い出したことで怒りなどのやり場のない感情を感じるのでしたら、カウンセラーなり心理セラピストなりに話を聞いてもらって、気持ちを理解し共有してもらうことで、今後の感情の行き詰まりは最小限に防げるかと思います。

その体験から、今どのような怒りと不快な感覚を感じるか、とても理解できます。


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